10月11日に、JR西日本福知山線脱線転覆事故の遺族・負傷者の「4・25ネットワーク」と、JR西日本の経営陣(垣内剛社長)が、JR西日本大阪本社で2度目の話し合いが行われました。(前回は10月6日で「JR西日本は遺族主催の説明会に主席意欲なし」を参照)
またしても、JR経営陣は遺族主催の事故説明会には参加しないと発言したそうです。
遺族主催の説明会への出席、JR西社長改めて拒否 (asahi.com)
社長面談2度目も決裂/脱線事故の遺族ネット (四国新聞社)
JR西日本は「4・25ネットワークに参加して無い人にも公平に」という言い分ですが、4・25ネットワーク主催がネットに加入していなければ、説明会に入場出来ないというわけではないと思います。どう考えても、「説明会は3時間」と時間をはっきりと区切っているため、時間でさっさと終了させて「説明会を行う義務を終わらせたい」というのをヒシヒシと感じます。107人(乗客106人+運転手)の命が失われて、多数の負傷者がいる事故の説明会を、3時間で終わらせようというのは勝手すぎませんか?
誠意を見せるというのは、お金以上にこういう事の対応じゃないでしょうか?
遺族からすると、特に働き手が亡くなられた遺族にはお金は非常に大事ですが、それと同時に、JR西日本しか知らない情報(警察が全てを教えてくれるわけではありませんし)を聞けるチャンスは、こういう機会しかないのです。それを、3時間で終わらせようとするJR西日本の態度、なんとか出来ないのでしょうか?
また、「録音・録画の禁止やマスコミへの非公開方針」というのも、納得出来ません。確かに、遺族の中にはメディアに出たくない人が多数いると思います。録画は無理でも、録音等の公開は、JR利用者に対する配慮にもなると思うのですが・・・
JR西日本の社内誌に、事故の犠牲者の「知人」や利用者からの脱線事故に対する意見を載せたそうです。
JR西日本、尼崎脱線事故犠牲者知人の声を社内誌に掲載 (NIKKEI NET)
・・・どうして、知人や利用者なんでしょう? ホントに社内誌に載せて効果があるのは、ご遺族の声ですよね? 既に終わった事として片づいている人の意見だけを載せるのはどうでしょう? このまま社内誌に載せて自己満足で終わってしまうようでは、誠意を感じれないと思います。
【関連情報】
4・25ネットワーク (JR西日本福知山線脱線転覆事故 遺族・負傷者のネットワーク)
JR福知山線脱線事故 (ウィキペディア)
【私の記事】
JR西日本は遺族主催の説明会に主席意欲なし
JR西日本脱線事故の被害者ネットワーク
JR車両に「107命」等の落書き
2005年10月14日
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JR西日本自身、
「I am who?」
…と言う様な状況なのでしょうか。
つまり、
「何をしたらいいか、自信が持てない」
と言うことだろうか、と思います。
私は、JR西日本の車両のデザインが好きですが、それとは別に、今回の事件には憤りを感じています。
けれど、事件に関係ない我々こそが、「どれだけ教訓に出来るのか」。
「〜それを、3時間で終わらせようとするJR西日本の態度、なんとか出来ないのでしょうか?」
…と、藍旋さんは仰っています。生意気だけれど、こういう人が引き起こしたのが今回の事故ではないか、と思います。
つまり無意識に、
「自分がやらないことだから、大丈夫だ」
と、思っているフシがあるのでは、と思うのです。
もちろん、JR西日本のことを信じられるわけではありません。キチンとケジメを付けてもらわないと。
けれど、普段の暮らしをしている我々こそが、実は気をつけないといけないのでは、と思うのですが。
それなくして、「教訓」には成り得ないと思うので。
もし、このような事故を起こしておいて「どうすればわからない」のでしたら、責任者を辞めるべきだと思います。ましてや相手に迷惑を掛けておいて自分の都合を優先するのは、筋が通りません。
教訓と言えば、私の場合はIT系だけに東証事故などは教訓として色々調べるわけですね。事故原因とそれを回避するのが難しい理由を専門家の意見と自分の考えで分析するわけです。
今回、果たしてJR西日本はそれをしましたでしょうか?
もし、それを踏まえていれば、ATS-Pの制限速度を低く設定したままで放置する事による影響もすぐに想像が付きます。
私の今回の発言は、直接の被害を受けてないからの発言であって、事故の被害を直接受けていれば反応はもっと直接的です。
恐らく、思われている以上に私は「自分にもあり得る」というのを自覚してると思います。それ故に、セキュリティ情報を流していたりします。自分こそ大丈夫、その考えこそが地雷を踏む油断に繋がると思ってますから。
クルマの運転だってそうです。Masayaさんは運転は簡単と思っていませんか? 事故の話を聞いてもふーんで終わってませんか?
私はクルマで遊んでいたので、それ故にその難しさを感じています。峠で速度を出すよりも、住宅街で制限速度で走る方が怖いものです。不確定要素が多いほど難しく、住宅街の方が危険が付きまとうのです。だからこそ、私はおばちゃん車よりも、速度を落として走っていたりするのです。
コメントを有難うございます。
> 事故の話を聞いてもふーんで終わってませんか?
私は、「ふーん」とは思っていないのですが…。私とて、車に乗るときには「ぶつけないか?」と、最悪の状況を考えつつ乗るし、歩くときとて、「周囲に気をつけながら歩いている」のですが。
言いたかったのは、「安全なのが当たり前」と言う人が多い割には、「いかなる努力が必要なのか」をわかっていない人が多いのではないか――と思うことです。
今回の事故ですが、「教訓とは色々な側面がある」ことと、それに対して、「表層的な部分」の「悲しみの部分」しか残らないのでは、と感じていることです。
「第3者」の人間が、今回の事故に対して、「自分がやるのではないか」と、自分のこととして「本気で」捉えて慄く人間が、今、どれだけいるんだろう――?と言いたかったのです。
マスコミと言い、我々第3者と言い、どれだけ「自分のこと」と捉えているのか、わかりません。心のどこかで、「自分がやっていないことだから」と、捉えているフシは無いのか、と言いたいのです。
翻って、JRと言い、被害者と言い、「自分が当事者」になっていなければ、どれだけ真剣に「人の命」について考えているのだろう?と思うのです。
「安全なのが当たり前」と言うのを聞くと、案外、「命の本当の重み」について考えていないのでは、と思うのです。
本気で、「安全を心懸けなければならない」と思って行動するのならば「当たり前」と言う言葉は出てこない、と思うのですが。
「当たり前に思う」と言うことは、目の前にある物に対して「何の疑いも抱かない」と言うことに繋がってきます。
これが、結果的に、事故を起こした当時の、JRの社内状況を「許してしまう」のでは、と思うのです。
遺族の行動にも、「隙間があるのでは」と思うことがあります。
「最愛の人を失った悲しみだけで動いていないのか」
と思えることです。
肝心なのは、「事故に遭っていない第3者」にたいして、真の意味で「教訓」としていくことです。
けれど、被害者等を見ていて――酷だし、誤解を招く言い方になるけれど――、
「自分が当事者になっていなければ、ここまで憤るのか」
――と、感じることです。「教訓」として残して行くには、「この辺」こそが肝心なのです。
今のままでは、余計、風化を早める恐れがあるのでは――と危惧するのです。
藍旋さんの一言一言ならば、「信用」出来ると思います。ただ、それ以外の人が、「教訓」としてどのように捉えているのか――疑わしく思うのです。
言いたかったのは、「当たり前」と言うことにたいして、「何故に安全か」を問うこともなく、結果、「悲惨な事態が現実になる」事が多い。これでは、いけないのではないか――ということです。
私は、だらしがない人間です。だから、「いつか、このような事態を招くのではないか」と恐れているけれど、日々、不十分なのを恥じてもいます。
私がこの脱線事故に関する記事を書いているのは、「事故の悲しみ」というのは勿論ですが、それ以上に「私自身が一番使う交通機関」なので訴えかけてるんですね。別にブログのネタとして面白いからなんて事で書くわけではないんですね。だからこそ現在で5つの記事としてアップしているんです。(これは3本目ですね)
逆に言えば、Masayaさんはどういう事が出来ると思っていますでしょうか?
私は直接の関係者ではないので独自に動いてもなんの効果もありません。ですので、ブログというツールで訴えかけるわけです。この事故を教訓として考える人がどれだけいるかは判りません。それは人次第で受け止め方に差があるので、私にはなんとも・・・です。今回の事故は関西でも扱いが小さくなりつつあります。だからこそ、何が起きているか、JR西日本の行動をアップするわけです。
私も外国の飛行機が墜落しても「そうなんだ」で終わる事が多いです。飛行機に乗った事自体数回しかない私には、あまりにもかけ離れているからです。今回の事故を、全員が自分に関係すると思わせるのは無理があります。日々、色々な事件がある中でこの事故のみを考える人は関係者ぐらいですから。歩き・自転車・バイク・クルマ・電車・船・飛行機・・・どれに重点を置いて考えているかは人それぞれです。考えれる機会にどれだけ感じ取る物があるかじゃないでしょうか? 私はその考える機会を増やしたいのです。
特に日本の電車が「安全なのが当たり前」というのは普通な考えだと思います。(私に向かって言わている文面に見えますが・・・一度も言ってませんよ?) 安全がタダと思うのは甘いとは思いますが、電車ほど安全性が高い物はありません。クルマで行くのと電車で行くのでは安全性に段違いの差が生まれます。それをもって「当たり前」と感じるのは当然です。
企業システム構築に関係すると、常に周りから思われるのが「正常動作が当たり前」です。不可避な異常が発生してもそれはこちらの叱責になる事だってあります。その当たり前を維持するために、努力が必要になるわけです。それが他システムの他社さんとも仲良くして情報を引き出したり、自社内でも細かな変化を言えるような意識作りに努めます。
今回の事故は起こるべくして起きた事故と思います。事故は踏切でクルマが進入してきた等の外部要因ではありません。何年も前から私のような一般にも知られている日勤教育から端を発しています。外部要因はあり得ると思っていても、社内環境によるプレッシャーから来て、ATS-Pの設定ミスがあっても報告もせずにしまい込むようなのは論外です。今回の事故はテクノロジーの問題ではありません。「何故に安全か」という電車の性能や安全のための装置ではなく、企業風土というメンタルな部分から始まっているのです。
『遺族の行動にも、「隙間があるのでは」と思うことがあります。』
これは遺族にも落ち度があるという事でしょうか? それを遺族の前で言えますか? Masayaさんが言っている事は「放火されてもそこに家があるから放火される」と大して変わりません。あなたその時、「そうですね、私の家がここに無ければ・・・」となるのですか? それで家族が死んだ時に「ああ、ここに家が無ければ・・・」となるのですか? 最愛の人を失い、悲しむからこそ、次の人が出来ないように動こうとする人もいるのです。
「自分が当事者になっていなければ、ここまで憤るのか」ですが、私はこの電車の沿線を使っています。そのまま乗っていれば事故現場まで20分です。いつ当事者になるかも知れない物に真剣になるのは当然です。冷静に見る目は大事ですが、他人事としてデータだけで判断するだけでは人間の行動を理解出来ません。
教訓教訓と言われますが、何を持って、どのような教訓を言われているのでしょう?
それを言うのであれば、こんなコメントで何かを言うのではなく、HPでも立ち上げてその教訓を訴えかけてみてはいかがでしょう? 今は無料でHPスペースもブログスペースもあります。ブログであれば文字さえ書ければ、十分に体裁も良く作れます。ここでコメントしてひっそり終わるようでは、何も変わりません。それこそ、風化するのではないでしょうか? 誰かが話題にするからこそ、事故は覚えていて活きるのです。「2005.4.25 福知山線脱線転覆事故発生」と事故一覧表の1文として見るだけでは、興味がない人には一つの事故として終わるのです。
個人が達観して見ているだけでは、その他大勢の人には何も影響を与えません、変わりません。
> こんなコメントで何かを言うのではなく、HPでも立ち上げてその教訓を訴えかけてみてはいかがでしょう?
> 教訓教訓と言われますが、何を持って、どのような教訓を言われているのでしょう?
「話す」と言うことの難しさを感じます。
私が言いたいのは、
「当たり前を維持するために、相当な努力をしても足りることはない。
JR西日本が事故のことで、責められるのは当然だ。
反面、これは“企業風土”というメンタルな問題であるが、『当たり前だ』と“断言している人”がこの様な事故を引き起こしているケースが、昨今、あまりにも多いのではないか。
『人のふり見て我がふり直す』と、自分こそが恐れなければ、それこそJRの様なことを引き起こすのではないか。
この事件、事件に関心がない人に遺族の気持ちは届いているのか。再発防止のためにうごくには、関心が無い人の気持ちにも立って伝えていかなければ、風化を早めるのではないのか――」
…と、言いたかったのです。誤解を与えていることを申し訳なく思います。
> (私に向かって言われている文面に見えますが・・・一度も言ってませんよ?)
これは、色々な新聞記事があって、その中で、
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200511020010.html
の中での遺族の発言からです。
発言は当然だと思います。最愛の人を失っているのだから。
私は、遺族の側に落ち度があって、「隙間がある」と言っているわけではないのです。
今はまだ、その段ではないのだと思いますが、これから先、事件のことが忘れ去られない様にするためには、
「事件に関心がない人に遺族の気持ちは届いているのか。再発防止のためにうごくには、関心が無い人の気持ちに“も”立って伝えていかなければ、風化を早める一因になるのではないか――」
と、言いたいのです。不謹慎ですが、「隙間がある」と言うのはこのことです。
私が言っていること、「違う意味」で話が膨らんでしまっているのがもどかしいし、「余計なお世話」と言われても仕方がないのですが。
私は、この事件、「達観してみている」つもりなど毛頭ありません。役員・幹部を総入れ替えしてもらいたいし、その上で、「安全計画」を進めてもらわないと信頼出来ないと思う。
ただ、その中で、「このままでは忘れ去られる危険があるのではないか?」と言いたかったのです。
遺族の方は「経費を安くすることばかり考えて外注が多くなるのだろう。鉄道は本来、安全で当たり前。その信頼のためにお金をかけないなら、鉄道の仕事をするべきではない」(asahi.com 05.11.02 http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200511020010.html より)と、公共交通機関として存在するのであれば、「鉄道は安全」という一般認識に沿うように努力すべきであり、放置や虚偽などをして怠るのであれば、企業存続をやめるべきであると言ってるわけですね。実際には企業解体は無理があるので、鉄道員をするべきではないと言っていると思いますけど。
当事者は当事者です。第三者と同じ立場で喋る事は出来ませんし、また、第三者も同じ立場や気持ちになる事は出来ません。出来るとすれば、同じような事故の犠牲者だけです。医者だって自分の身内の手術はしません。自分の身内には感情が生まれるために冷静に対処出来ないからです。その立場から伝えれる事を伝えれればいいと思います。仕事上のミスとは内容が全く違います。
話を聞いている限り、遺族の行動は関心がない人に伝えれるのかという話ですが、それでは、Masayaさんは何かしているのですか? 関心のない人に関心を向けれる術はあるのですか? 風化を早めると言いますがそれならどうすればいいのですか?というのを聞きたいのです。前にも言いましたが、ここで発言したところで古い記事という事もあり、極々一部の人が見るだけです。それこそ、風化するだけです。
そこまで、風化や伝えれないかもと危惧するのであれば、なぜ自分でHPやブログを作らないのですか?と、聞きたいんですね。
> 風化や伝えれないかもと危惧するのであれば、なぜ自分でHPやブログを作らないのですか?
これから資料をまとめて、遺族とも連絡を取って、HPを開設したいと思います。具体的にまとめて、追って連絡します。
ただ、藍旋さんのコメントを見ていると、
「事故から教訓を読み取る」
と言うよりも、
「何で、バカなことをしでかすんだ」
と言うニュアンスを感じます。
『人のふり見て我がふり直す』と、いう“畏れ”を感じないのです。
確かに、当事者は当事者です。第三者と同じ立場で喋る事は出来ないでしょう。
問題なのは、その間のギャップに在る、と思うのですが。
今のところ私は、「手段」を持って発言していません。そこを恥じています。
でも、藍旋さんのコメントを見ていると、どこか、驕りを感じます。
「ひょっとしたら、自分がやるのではないか?自分が引き起こさない様にするには、どのように動けばいいのか?」
第3者がそこまで考えられて、そして慄き、葛藤する気持ちが持てないのでは、とても「真の再発防止」には繋がらないのではないか、と思うのです。
藍旋さんのコメントには、その“畏れ”を感じないのです。
確かに、沿線に住んでおられるのであれば、「当事者」に成り得ます。でも、藍旋さんは、“今のところ”は「第3者」なのでは?
とても、被害者を代弁しきれる立場にはない、と思うのですが。
その意味で、藍旋さんも、JR西日本の様なことをやる「次回の加害者」になりうるぞ、と感じています。
決して、JR西日本を庇って言っているのではありません。きれい事を言うわけでもない。
> 個人が達観して見ているだけでは、その他大勢の人には何も影響を与えません、変わりません。
「厳しさが違うんだ」と言われるかも知れませんが、むしろ、達観しているのは、藍旋さんではないか、と思うのですが。
藍旋さんも、ブログを見る人だけを相手に喋っているだけではないか、とも言えるのですが。
「憤りは当然であるが、藍旋さんも、JRの様な事態を引き起こす可能性はゼロではないのではないか?
藍旋さんのコメントにはその辺への畏れを感じない」
と言うことです。
はっきりいって、すごく失礼な人ですよね。
Masayaさんにおごっているとか、恐れを感じてないとか、言われたくないです。あなたは専門家ですか?自分の考えが全てだと思っていませんか?
私は言っているとおり、このJR西日本の状態ではいつ事故が再発して被害者になるかも知れないと言っているのです。現在、当事者とも言ってませんし、被害者の代弁をするとも言ってません。
『それ以上に「私自身が一番使う交通機関」なので訴えかけてるんですね。』と書いたように、自分の身に降り掛からないためにも、訴えかけているわけです。第三者であるうちに何か出来る範囲で行いたいと思っているわけです。
私は自分の範囲でしているだけです。それをブログというツールでしているわけです。記事を読んだ人が何かを考えるキッカケになればと思っているのです。多くの人が考えるキッカケになれば、その人がまた、他の人に影響を与えるかも知れません。
「遺族と接触してHPを開設する」?
私のブログと何も変わりません。そのHPを見る人だけです。「ブログを見る人だけを相手に喋っているだけではないか」と言うぐらいなら、大阪駅前で署名活動したり、路上演説でもしたらどうですか?
本当に遺族と接触するのですか?
あなたはマスコミでもなく、事故の関係者でもない第三者として、今の遺族に聞けますか? 人によっては興味本位で聞いてくる野次馬と受け取り不愉快に感じます。だからこそ、私は4-25ネットワークにこういうブログを書いて訴えてます等とは言いません。
Masayaさんにの発言は、自分が絶対に正しく、異なる意見は間違っているという立場から喋っていると感じます。
果たして、あなたにこの事故についてHPを開設して全ての遺族の満足を得る物が作れるか、非常に疑問を感じます。補償金問題でも人によっては要らないというぐらいに怒っていますし、すぐにでも貰って忘れたいと思っている人もいます。その温度差、今のMasayaさんの対応で果たして埋める事ができますでしょうか?
私は、あくまでも「正しい」と思って書いているのではない。この一文も含めて、独りよがりに過ぎない、と思います。
むしろ最近、
「『正しい』と思っている人がこのようなことをひきおこしているのでは?」
――と、素朴に感じたことです。そう感じて、コメントをしたのです。
「HPを作って発表するべきでは?」と言われて、逆に当惑しています。
あくまでも、「素朴に感じたこと」を書いただけだからです。
私が言いたかったのは、
「思われている以上に私は「自分にもあり得る」というのを自覚してると思います。」
――こう言う人が失態を引き起こしている事例が多いのではないか?と、感じただけです。私見の事とて「正しい」と思って言うわけでもない。
では、どうすればMasayaさんは満足するのですか?
「自覚しなければ事故を起こす」
「自覚するとそう思っている人ほど失態を犯す」
どうすれば失態を引き起こさないようになるのでしょう? 無意識にとでもいうのでしょうか?そんなバカな話はありませんよね。自覚してなくても事故は起こしたくないので無意識に注意を払います。 「素朴に・・・」なんて言葉を使えば、純粋なイメージを相手が持ってくれると思っていませんか。大きな勘違いです。
Masayaさんは自分の考えを押しつけているだけで、私の質問に答えてないと思いますよ。あなたは遺族と本当に会えますか? 今まで言った事を言えますか? 私と違い署名や路上演説など少しでも多くの人に語りかける努力をするのですか? それ以前にも、どんな教訓をあなたは言いたいのですか?
なぜ、私に「HPを作って発表するべきでは?」と言われて当惑するのでしょう? Masayaさんの今までの言動では、人にその教訓や風化させないように何をするべきか判っているはずで、何も当惑する必要がありません。「署名活動する」「JR西日本に直接で向いて話をして公表する」等、自分に出来る事が判っているからこそ言っているのではなかったのですか?
自分が独りよがりに過ぎないと感じているのであれば、人に絡んでいるとしか思えないコメントはやめて、自分でHP等を立ててやればよろしいんじゃないでしょうか? 私には他人の影でコソコソと言っているだけで、表だって言えない人にしか見えません。私の目にはネットによくいる「ネットでは大きな事を言うけど、現実では何も出来ない人」に映っています。そう感じているほど、人に批判するだけで具体的な物が見えてきません。
「返事をすれば返事をする」ほど、誤解が拡がっていく感じがします。
私は、「自覚していても事故を起こす可能性は残るのではないか?」と言っているだけです。
Masayaさんから言い始めた事ですよね? 誤解ではないと思います。少なくとも私は失礼だと思っているんです。そういう言葉で打ち切るのはおかしくありませんか?
私には「自覚していても事故を起こす可能性は残るのではないか?」という言葉は最初の発言から離れていると思います。
「自覚していても事故は起きる」というのであれば、「あなたは事故を起こすタイプだ」というのはおかしいですよね? あなたの理論では全員が起きる、自覚していてもしていなくても起きるものは起きる、です。
そして、今回も質問に答えようとしていません。
遺族に聞いて具体的にHPを作るというのであれば、とりあえずHPスペースやブログスペースを作ってURLを公表してくれませんか? トップページで1行、「JR西日本福知山線脱線転覆事故について」等だけでもいいと思います。
うやむやにされては納得出来ません。
遅れた以上、「書く気がない」と言われても仕方がありません。
後になって気が付いたのですが、
「自覚していても事故は起きる」
と、言ったのは、
「『他山の石』にすると言っている人間が、このようなことをしでかすことが、最近多いのでは。われわれも、そうならない様に気をつけなければいけませんね――」
と、言いたかったのだ、と思います。
これには、
「『どうすればわからない』のでしたら、責任者を辞めるべきだと思います」
と、藍旋さんが言っていたことが正しい、と思います。プロは、全ての責任を背負った上で仕事に取りかからなければならない、と考え直したからです。
もう少し、文の意味を理解した上でコメントを寄せるべきであったと反省しています。
HPについてですが、現在のところは開設するつもりはありません。
不規則な仕事で帰りが遅く、休みが少ない今の自分では、HPの管理に自信が持てないからです。
「自信が持てない」と言う人間が、ブログに投稿などするべきではなかった、増して、我を張って失礼なことを書き込んだことを、とても後悔しています。
“事故”の事にしても、仕事が中途半端な今の状態では取り組むべきではない、と思います。
今の自分の身分では、遺族の足を引っぱるだけになってしまうことに気付いたからです。
仕事のことで、身辺の整理が付いて、勉強し直してから取り組みたい、と思います。
全ての面で、軽く見過ぎていたことを後悔しています。
まだ、関西では異常事態が続いていることを全く理解していなかったし、遺族のことも、それ以外の方の気持ちも、解っていなかったことを、恥ずかしく思っています。
事故が起きないと言い切るのは無理だと思いますが、事故を起こしておきながらミスがあっても隠し続ける態度は、毎日JR西日本を使う人には非常に怖い事なんです。
運転手達も事故後でも「ATS-Pにはダミーがあるんじゃないか」と噂していて、本当にあって自社の対応に耳を疑ったそうですから・・・PTSDになった人には心の傷に追い打ちとも言える話だったと思います。私の周りでも、先頭車両等に乗るのは嫌がる人が増えました。関西ではまだまだ自分の出来事と捕らえている人が多いと思うんです。私も他人事ではなく、真剣なんですね。
一般人が出来る事は、状況を見続けおかしいと思ったら世論としてJR西日本に反論するしかないと思っています。実際に座り込みやデモ行進をするなどはあまり現実的じゃありませんので・・・悲しい事に、気にはしていても関西でもニュースに気付きにくい状況なんです。だからこそ、私が気付いた話を私は記事として伝えたいんです。
最後に、私も厳しい言葉で対応して、Masayaさんに不愉快な気持ちをさせたと思います。申し訳ありません。仕事なども落ち着いてこの事件について書く事があれば、また私にもお教え下さい。
> 私も厳しい言葉で対応して、Masayaさんに不愉快な気持ちをさせたと思います。申し訳ありません。
いいえ、私の方こそ未熟で甘かったと思います。
今回のことを通じて、本などの情報を盲信して喋っているだけの自分に気付かされました。反省しているし、変な言い方だけれど、感謝しています。
ただ、言い訳だけれど、ムキになった言い方をしたのは、もう一つ、理由があります。
「Masayaさん、こんばんわ〜♪」
との書き出しで始まっていたから、
「なんだこいつは、軽口を言いやがって」
と、思いこんだのだ、と思います。
それ以外の、藍旋さんの文章と私の文章とを読み比べると、藍旋さんのほうが正しいと思うし、私は噛みついているだけだった、と感じます。
それに、藍旋さんが“沿線”に済んでいて、切実に捉えていることも解っていなかった。自分が同じ状況だったら――今は、想像するゆとりがないのが悲しいです。
最初の挨拶は定型文なんですよね。どうしてかというと、挨拶次第で相手が色々と言う事があるからです。
挨拶が固いと「一見さんお断り?」、「常連と差別?」
反論の場合に固いと「それはイヤなコメントに対する拒絶?」
等々、メールで文句来たりしちゃうんです。
なので最初の一回目は定型文です。
他のコメントの挨拶を見ていて、自分だけ違うと「自分と違う考えには態度が違うんだ」と、受け取る人もいるんですよね。TPOを弁えて書いてるのに、わざわざメールで挨拶の違いに文句を言う人がいる現実があるんです。特に私はコメントだからといって、簡潔にすることはないので、余計に反論が強くなるんですよね。
基本的にコメントをしやすいように気安くしたいため、意外に挨拶の仕方一つで悩む事もある、管理者の悩みです。。。
> 最初の挨拶は定型文なんですよね。どうしてかというと、挨拶次第で相手が色々と言う事があるからです。
他の記事も読んでみました。
確かに、”同じように”「定型文」で始まっています。
最初に、ここを気をつけて読んでいたら良かったな、と思うし、今後、気をつけたいと思います。
普通は他の人のコメントの挨拶とかまで気にしないと思います。それこそ、そこまで気にしてしまうと、コメントなんて出来なくなりますよね。
ほんのごく一部、そこまで突っ込まなくても・・・という人がいるだけなんです。。。そういう人に限って、態度が横柄だったりするんです! 私をコンビニの店員とかと勘違いしているんでしょうか?
相手が直接見えないネットを怖いと思う瞬間だったりします。
> 私をコンビニの店員とかと勘違いしているんでしょうか?
これは、勘違いしているわけではなくて…。
私がキチンと文を読んで、意味を理解していたら愚かしいことを書かなかった、そのことを恥じている、と言いたかったのですが…。
重ね重ね、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。
いえ、違うんです! 誤解させてしまいました!!
送られてきたメールで「何か態度違うけど、差別?」とか言われた時に思ったんですね。ネットだと、なんか自分が偉いと思って態度大きい人が多いんですよね。下手に出ている人にはすぐに調子を乗る人が多くて困ってしまいます。
コンビニの店員・・・っていうのは、よくいますよね、立場が弱い店員さんに調子に乗る人。勢いづけば相手が下手に出ると思っているのかな?と思って例に出したんですね。
現実の世界で相手に向かって同じ事が言えるかどうか・・・こういうマナーの向上って相手が見えない世界だけに難しそうですね。
本当にもう気にしてないので、大丈夫ですよ〜
そうでしたか。正直、ホッとしました。
…もちろん、私自身、気をつけなければいけないけれど。
…ところで、「JR西日本」の事です。
実を言えば、私は東京23区在住で、関西には行く機会が無く、雑誌などの情報だけでJR西日本のイメージを創り上げていたな、と、感じています。
今思えば、恥ずかしく思います。
「日勤教育」が大きく取り上げられているけれど、これ以外にも、”兆候”はあった気はします。
鬼ごっこをしていた高校生を列車がはねて――これだけだったら高校生が悪いとも言えるけれど――その救助をしていた救急隊員を跳ねる事故がありました。
これ以外にも、「児童ポルノ」を製作していたのがJR西日本のアルバイト駅員であったりもしたし、「私の趣味」の範疇で言うならば、最近のJR西日本の車両は、デザインのセンスが落ちているなぁ、と感じていました。
――思い起こすだけでもこれだけ出てくるのだから、私が抱いていたのは”幻想”に過ぎなかったな、と恥ずかしく思っています。
> 新大阪駅では客が降りきる前に発車前のアラームが鳴ります。乗る時は乗客にぶつかるように乗る事もしばしばです。本当に、改善されているのか、不安に感じています。
――これを見るだけでも、
「ああ、自分は何も解ってなかったなぁ」
と、痛感されられます。
ありましたね、救急隊員の事故。そういえば、あれも連絡ミスだった気がします。助けるために必死で周りを見ている余裕ないですよね。。。どうも連絡網等の徹底が下手な気がします。無線連絡?のイメージがあり、連絡意識が強そうに見えるのですが、意外に届かないものみたいですね。
新大阪駅は新幹線が止まるのでスーツケース等の大荷物が多く、出入りに時間が掛かる人も多い割には本当に余裕がない停車時間なんです。あと10秒、余裕を持たせてくれれば全然違うと思うんですけど。。。
実際の所、全員乗るのを待ってくれるとは思いますけど、その分、運転手は苛立ちと焦りを感じていると思うんです。今は無理して遅れを取り戻さなくて良いと上は言っているみたいですが、時間通りに運航する事に誇りを感じる運転手達が焦らないハズが無いと思うんです。少なくとも、少しの遅れでも客は苛立ちますし。。。そこが、本当に経営陣は運転手達の現実を踏まえて言ってるのか、非常に不満に感じるんですよね。